H17年 5月11日 ジョイ子お嬢をお迎えして19年目に入った。

1986年の5月11日、明石のステーションビルへショッピングがてら出かけ、
時々寄っていたそこのペットシッョプで出会ったジョイ子お嬢。

真っ赤な嘴、サップグリーンの羽色。
ダンボールの中に17羽ほど入っていた中の一羽だった。
生後30日前後で、ビルマ方面から輸入された子。
ダルマインコと暮らすなど、全く考えていなかったけれど、
その日が母の日だった事もあって
母の日のプレゼントとこじつけられ(笑;;) うちの家族になったジョイ子。

もう一羽、もっとヒナヒナした子と迷ったけれど、
その子はジョイよりだいぶ小さくてまだ親のぬくもりが欲しい感じで、
手に乗せても仲間の元へ帰りたがり、
戻してやると、すぐにみんなの中へ中へと潜り込んでいた。
オカメより大きい子を育てるのは初めてだったので、
ある程度羽根が生え揃ってる子の方がいいかもと、結局ジョイを選んだ。
その子も連れて帰りたかったけれど、
大きい子を二羽も連れて帰れなかったよ・・・。

その子も含め、後の16羽の子達・・・
(きっとジョイ子の兄弟姉妹もいた事だろうね)・・・、
みんな元気で育って、今もどうか健在でいて欲しい。

帰りの電車の中では、うんともすんとも言わなかったジョイ子。
大丈夫なのかと心配したよ(汗)

母と話すのだけれど、ジョイ子の子供の時は、
いったい何を食べさせてたのだろうと。
バナナとリンゴを煮たのは記憶に残っているが・・・ 
とにかく、食べる時の声があまりにも面白かったので、
その印象しか残ってないのかも ;
どう表現したらよいのか・・・風船の空気が抜ける時の音と言うか・・・
ふぁ〜〜〜ん、ふぁ〜〜〜ん、ふぁ〜〜〜ん 

どうして声を録音しなかったのか・・・今も悔やまれる(泣)





ちゃんと育てられるのか不安ながらも、
その頃持っていた日本で初めての鳥のお医者様
高橋 達志郎先生の飼育本三冊等を参考にしながら、なんとか育てた。
とにかく保温に注意、昼はブラケースに入れてたのか
(覚えが無いが写真が残っている;)
夜は一番小さいカゴに入れ、ふん切りを取って、
電気アンカを新聞で包んで入れていたと思う、こちらは記憶がある。
それから、セキセイなどのように、お腹いっぱいにさせてはいけない、
腹三分か四分で止める事、満腹にさせると食滞になると本で読んでいたので、
それも注意した。

ちょうどダルマインコの手乗りを作る為の飼い方が
2ページほどだか載っていたので助かった。
この時代は、飼育本に載ってるぐらいだから、まだダルマも多く輸入されて、
比較的手に入り易い種だったらしい。
今ではダンボールに17羽も入ってくるなんて、考えられない事だろう・・・。
今その本を見てみると、あわ玉の挿し餌って書いてあるので
たぶん、その通りにしてたのかな・・・他にセキセイ達も育ててたし・・
・一緒に挿し餌してたかも・・・。やっぱり覚えてない、とほほ

その頃つけていたノートを見ると
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5月31日に挿し餌と一人餌半々
6月20 日 1日2〜3回挿し餌が必要 一回当たりの食べる量が減ってきた。
7月5日 まだ挿し餌が必要 
8月14日 ♀らしく、嘴が赤から黒くなってきた。
10月29日 日毎に羽根の色が変わり、一段と大きくなった。
     何やら色々と喋り、人の口真似をしている。